在宅介護しながらウィーンへ行くブログ~猫とビターチョコレート~
独身のアラフォーが家族を在宅介護、やりくりしながらウィーン旅行を目指します
翼をください。
『翼をください』
という名曲がある。
私はたしか中学校で習った。
翼
はばたく
自由
空
夢
明るい言葉が印象に残って、明るい歌だと思いこんでいた。
翼をひろげてはばたく希望の歌だと。
だけど何かがひっかかり、歌うたびに、のどが詰まった感じがしていたものだ。
昨日25年ぶりくらいで『翼をください』を歌った。
そしたら25年ぶりで気がついたのだ。
これ、ぜんぜん明るい歌じゃない!
・・・歌詞の受け取り方は人それぞれですから、以下はあくまでも私の見解です。
「翼がほしい」という「願いごと」。
それはどうあがいても自力では飛べない人の、神頼みの歌だった。
飛ぼう
ではなく
飛ぶぞ
でもない。
飛べるように頑張ろう
とか
いつか飛べる
という言葉はでてこない。
あくまでも「飛びたい」だけ。
願うだけ。
神頼み。
たぶんそれしか方法がないから。
逆にいえば、飛べないという事実を受け入れ、半ばあきらめているようにもとれる。
希望じゃなかった。
諦観だった。
「富も名声も何もいらない、ただ翼がほしい」
と祈っているのは誰だろう?
「自由な空にとんでいきたい」
と解放されることを願い歌ったのは誰だろう?
中学生の私が明るい歌だと思い込んだのは、私が健康でお気楽な子供だったからだ。
爽やかなメロディだけをきいて明るい曲だと思っていた。
昨日、私はこの歌を、妹が入所する重度の障害者施設で聞いた。
音楽療法として。
楽しい音楽として。
若い女子大生が歌の指導をしていた。
大きな声で歌っているのは、車いすで、何十年も施設で暮らす人たち。
「この大空に飛んでいきたいよ」
と、大空どころか隣のコンビニさえ自由行くことのできない人たちが歌っていた。
妹も歌っていた。
『翼をください』
・・・せつなすぎて、なんか申し訳なくて、泣けてきた。
かくいう私も腰痛が治らなくて不便です。
レッドブルでも飲みましょうかね。
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↓

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私はたしか中学校で習った。
翼
はばたく
自由
空
夢
明るい言葉が印象に残って、明るい歌だと思いこんでいた。
翼をひろげてはばたく希望の歌だと。
だけど何かがひっかかり、歌うたびに、のどが詰まった感じがしていたものだ。
昨日25年ぶりくらいで『翼をください』を歌った。
そしたら25年ぶりで気がついたのだ。
これ、ぜんぜん明るい歌じゃない!
・・・歌詞の受け取り方は人それぞれですから、以下はあくまでも私の見解です。
「翼がほしい」という「願いごと」。
それはどうあがいても自力では飛べない人の、神頼みの歌だった。
飛ぼう
ではなく
飛ぶぞ
でもない。
飛べるように頑張ろう
とか
いつか飛べる
という言葉はでてこない。
あくまでも「飛びたい」だけ。
願うだけ。
神頼み。
たぶんそれしか方法がないから。
逆にいえば、飛べないという事実を受け入れ、半ばあきらめているようにもとれる。
希望じゃなかった。
諦観だった。
「富も名声も何もいらない、ただ翼がほしい」
と祈っているのは誰だろう?
「自由な空にとんでいきたい」
と解放されることを願い歌ったのは誰だろう?
中学生の私が明るい歌だと思い込んだのは、私が健康でお気楽な子供だったからだ。
爽やかなメロディだけをきいて明るい曲だと思っていた。
昨日、私はこの歌を、妹が入所する重度の障害者施設で聞いた。
音楽療法として。
楽しい音楽として。
若い女子大生が歌の指導をしていた。
大きな声で歌っているのは、車いすで、何十年も施設で暮らす人たち。
「この大空に飛んでいきたいよ」
と、大空どころか隣のコンビニさえ自由行くことのできない人たちが歌っていた。
妹も歌っていた。
『翼をください』
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バキッ!
とある理由で。
3人がかかりで母の車椅子を持ち上げた。
「せーの」
「よっこらしょー!」
バキッ!
Noooooooooooooo!
・・・背骨、折れたかと思った。
折れてなかった。
ギックリ腰だった。
幸い歩ける程度。
どうしても出かける必要があったので、気合でなんとかした。
気合で帰宅すると、力尽きたのか、こんどは眩暈がきた。
ぐるぐる。
ぐるぐる。
猛烈な眩暈で起き上がれない。
寝たら治ったけど。
こんなときのために仕込んでおいたオヤジが役に立った。
家事を頑張ってくれた。
電話をして、明日は朝夕ヘルパーさんに来てもらうことになった。
絶対、2日で治すから!!!!
ラックルとか飲み薬どうなのかなー・・・。
ひ弱な私に励ましの1クリックよろしくお願いします!
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「せーの」
「よっこらしょー!」
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折れてなかった。
ギックリ腰だった。
幸い歩ける程度。
どうしても出かける必要があったので、気合でなんとかした。
気合で帰宅すると、力尽きたのか、こんどは眩暈がきた。
ぐるぐる。
ぐるぐる。
猛烈な眩暈で起き上がれない。
寝たら治ったけど。
こんなときのために仕込んでおいたオヤジが役に立った。
家事を頑張ってくれた。
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あなたは友達に自分のトイレ介助を頼めますか?
突然ですが。
あなたは友人に、自分の下の世話を頼めますか?
今日は母が所属する団体の、集会があった。
月1回の集会に欠かさず参加する。
会場に着くと誰かが母の面倒をみてくれるから、預けっぱなしにして、私は送り迎えだけでいい。
トイレは諦めてもらって、夜用オムツをつけておく。
3~4時間ならオムツ交換なしでいける。たぶん。
だけど昨夜、母は
「会場でトイレに行きたい」
といいだした。
「Nさんにトイレ介助してもらう」
いや、ダメだよそれは。
車椅子を押してもらったり、食事のときお皿を動かしてもらったりするのとはわけが違う。
いくら友達でもトイレの世話をさせるわけにはいかない。
それは迷惑だと思う。
「そんなこと言ってたら私どこにも行けないじゃない!」
ヘルパーさんは基本、家の中でしか使えない。
仕事や遊びにいくときは家族が付き添うしかない。
家族のみの介護には限界がある。
母が所属する団体は、身体障害者の親の会だ。
仲間はみんな何十年も介護してきたベテランばかり。
寝たきりだった頃の母をみて
「これくらい重度とは言えないわ」
と言い切る人たちである。
母のトイレ介助くらい簡単かもしれない。
でも。
いいのか。
そこまで頼ってしまっていいのか。
一晩、考えた。
結論はでなかった。
そしたら今日。
母の車椅子をおして会場へ行くと、Nさんが走って来て
「トイレ介助の仕方教えてね!」
といわれた。
私が頼むまでもなく。
前に会ったとき母と話ができていたのだろう。
二十年以上の付き合いがあるNさんと、看護師のMさんの2人がお手伝いしてくださることになった。
介助方法を伝えるため、私もいれて4人で身障者用トイレに入った。
いつもは多尿の母が、さすがに緊張してあんまりでなかった。
昨夜、母は言っていた。
「前に話したことがあるの。
『お互いに下の世話ができるような友達関係になろうね』って。
どうせみんなが行く道だもん。
お互い様でやるようになったら、自分がそうなったときも、遠慮ないでしょう」
私はその先駆者になるのだと。
・・・お互いにってわけにはいかないと思うんだけどなあ。
NさんもMさんも素晴らしい人たちで、お礼をいったら
「これくらいのことで!」
って感じだった。
「どんどん言ってよ!」
本当にありがたかった。
恵まれていると感じた。
私はいつも介護する側にいるから当事者の気持ちは分かるようで分からない。
でもきっと、頼む方も勇気がいることだろう。
「Nさんなら頼めるから」
と母がいったとき、信頼の厚さを感じた。
それで思わず自問自答したのだ。
私がいずれそうなったとき、友達に下の世話を頼むことができるだろうかと。
雨にも負けず風邪にも花粉にも負けず、
今日も1クリックで応援お願いします!
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だけど昨夜、母は
「会場でトイレに行きたい」
といいだした。
「Nさんにトイレ介助してもらう」
いや、ダメだよそれは。
車椅子を押してもらったり、食事のときお皿を動かしてもらったりするのとはわけが違う。
いくら友達でもトイレの世話をさせるわけにはいかない。
それは迷惑だと思う。
「そんなこと言ってたら私どこにも行けないじゃない!」
ヘルパーさんは基本、家の中でしか使えない。
仕事や遊びにいくときは家族が付き添うしかない。
家族のみの介護には限界がある。
母が所属する団体は、身体障害者の親の会だ。
仲間はみんな何十年も介護してきたベテランばかり。
寝たきりだった頃の母をみて
「これくらい重度とは言えないわ」
と言い切る人たちである。
母のトイレ介助くらい簡単かもしれない。
でも。
いいのか。
そこまで頼ってしまっていいのか。
一晩、考えた。
結論はでなかった。
そしたら今日。
母の車椅子をおして会場へ行くと、Nさんが走って来て
「トイレ介助の仕方教えてね!」
といわれた。
私が頼むまでもなく。
前に会ったとき母と話ができていたのだろう。
二十年以上の付き合いがあるNさんと、看護師のMさんの2人がお手伝いしてくださることになった。
介助方法を伝えるため、私もいれて4人で身障者用トイレに入った。
いつもは多尿の母が、さすがに緊張してあんまりでなかった。
昨夜、母は言っていた。
「前に話したことがあるの。
『お互いに下の世話ができるような友達関係になろうね』って。
どうせみんなが行く道だもん。
お互い様でやるようになったら、自分がそうなったときも、遠慮ないでしょう」
私はその先駆者になるのだと。
・・・お互いにってわけにはいかないと思うんだけどなあ。
NさんもMさんも素晴らしい人たちで、お礼をいったら
「これくらいのことで!」
って感じだった。
「どんどん言ってよ!」
本当にありがたかった。
恵まれていると感じた。
私はいつも介護する側にいるから当事者の気持ちは分かるようで分からない。
でもきっと、頼む方も勇気がいることだろう。
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