在宅介護しながらウィーンへ行くブログ~猫とビターチョコレート~
独身のアラフォーが家族を在宅介護、やりくりしながらウィーン旅行を目指します
要介護認定と弾丸旅行
木曜日に母の要介護認定の調査があった。
役所のひとがきて、母にたくさん質問をして。
その方はとても親切な言葉と穏やかな物腰で、構えていた私はほっとしたのだけれど。
・・・けれど。
それは、母にとっても私にとっても、せつない時間だった。
「~はできますか?」
という問いに母はすべて「いいえ」と答えなければならなかったからだ。
立てますか。
いいえ。
座れますか。
いいえ。
着替えはひとりでできますか。
いいえ。
トイレには行けますか。
いいえ。
歯磨きはできますか。
いいえ。
時間はわかりますか。
いいえ。
この字は読めますか。
いいえ。
ときどき母は「はい、できます」と答えた。
だけどどう見てもそれはほんとは「いいえ」だった。
調査員の人もそれはすぐにわかったらしい。
廊下にでるとき
「だいぶ理解力が落ちておられますねえ」
と、つぶやくように言ったから。
そのあと看護師さんがきて、すべてにおいて全介助ですと付け足していった。
いいえ。
いいえ。
いいえ。
いいえ!
それは介護保険サービスを受けるうえで必要な調査であり、いいえが多いほど受けられるサービスは増えていく。
もちろんそれはわかっているのだが、それでも私は叫びたくなる衝動をこらえなければならなかった。
できることもあるんです!
って言いたくなった。
名前と住所は漢字で書けるんです。
あんまりむせずにコーヒーを飲めるんです。
テレビのリモコンを押せるようになったんです。
携帯メールで「こんにちは」って書けるんです。
音楽を聞いてモーツアルトとかバッハとかヴェニヤフスキとか名前を言えるんです。
自立支援法のことよく覚えているんです。
手足がすごく痛いときでも、私が帰るときは
「車に気をつけてね、毎日ありがとう」
って言ってくれるんです。
母は聡明で穏やかで、とにかくずっと動いてる人だった。
知的障害者の会、重度重複障害者の会、地元の音楽家を集めてのコンサート、若者のオーケストラ、子どものバイオリン指導、ボランティア活動、訓練会を3つ。
総会、委員会、演奏会。
365日毎日どこかへ出かけてた。
スーパーマンみたいだっていわれてた。
どんな鉄人でもいつかは老いる。
もちろん頭では理解していた。
いつかはこの日がくることを。
でも覚悟はできていなかった。
人は「だんだんと老いていくもの」だと思っていたから。
だんだん皺が増え、だんだん体が動かしにくくなり、だんだん物忘れが増えていき・・・。
ところが母はある日突然、なんのまえぶれもなく「老人」になった。
まるで玉手箱を開けてしまった浦島太郎みたいに。
倒れる直前まで会議に出席していたのに、もくもくと煙につつまれて。
そしてなんにもできなくなって、
「あなたは老人です。」
一覧表に記された「いいえ」の行列は、目の前に突きつけられた現実そのものだった。
これが去年だったら64歳で、中途障害ってことで雰囲気はまた違ったのかなあ。
だけど、玉手箱を開けたあとでも、浦島太郎は浦島太郎だ。
何もかわりはないはずだ。
ただ、老人になって動けなくなったってだけで。
母はかわりなく母だ。
「車に気をつけて帰りよ」
っていってくれる母なんだ。
人は、なにをもってその人とするのだろうか。
なにをもって母は母で、私は私で、あなたはあなたでいられるのだろうか。
それは「いいえ」の数ではなく、できないことではなく。
肯定することではないだろうか。
なんにもできなくなった母はまだ、コーヒーを飲んで、歌を歌うことができる。
生まれつきなんにもできない妹は、それでも元気に笑うことができる。
人をその人たらしめるのは、そういうことじゃないだろうか。
そんなことを考えながら。
深夜バスに乗って旅にでました。
仕事が休みになったその日は、叔母が病院にいってくれる予定だったので。
前に宣言したとおりの弾丸旅行に出たのです。
旅ブログに更新していきます。
役所のひとがきて、母にたくさん質問をして。
その方はとても親切な言葉と穏やかな物腰で、構えていた私はほっとしたのだけれど。
・・・けれど。
それは、母にとっても私にとっても、せつない時間だった。
「~はできますか?」
という問いに母はすべて「いいえ」と答えなければならなかったからだ。
立てますか。
いいえ。
座れますか。
いいえ。
着替えはひとりでできますか。
いいえ。
トイレには行けますか。
いいえ。
歯磨きはできますか。
いいえ。
時間はわかりますか。
いいえ。
この字は読めますか。
いいえ。
ときどき母は「はい、できます」と答えた。
だけどどう見てもそれはほんとは「いいえ」だった。
調査員の人もそれはすぐにわかったらしい。
廊下にでるとき
「だいぶ理解力が落ちておられますねえ」
と、つぶやくように言ったから。
そのあと看護師さんがきて、すべてにおいて全介助ですと付け足していった。
いいえ。
いいえ。
いいえ。
いいえ!
それは介護保険サービスを受けるうえで必要な調査であり、いいえが多いほど受けられるサービスは増えていく。
もちろんそれはわかっているのだが、それでも私は叫びたくなる衝動をこらえなければならなかった。
できることもあるんです!
って言いたくなった。
名前と住所は漢字で書けるんです。
あんまりむせずにコーヒーを飲めるんです。
テレビのリモコンを押せるようになったんです。
携帯メールで「こんにちは」って書けるんです。
音楽を聞いてモーツアルトとかバッハとかヴェニヤフスキとか名前を言えるんです。
自立支援法のことよく覚えているんです。
手足がすごく痛いときでも、私が帰るときは
「車に気をつけてね、毎日ありがとう」
って言ってくれるんです。
母は聡明で穏やかで、とにかくずっと動いてる人だった。
知的障害者の会、重度重複障害者の会、地元の音楽家を集めてのコンサート、若者のオーケストラ、子どものバイオリン指導、ボランティア活動、訓練会を3つ。
総会、委員会、演奏会。
365日毎日どこかへ出かけてた。
スーパーマンみたいだっていわれてた。
どんな鉄人でもいつかは老いる。
もちろん頭では理解していた。
いつかはこの日がくることを。
でも覚悟はできていなかった。
人は「だんだんと老いていくもの」だと思っていたから。
だんだん皺が増え、だんだん体が動かしにくくなり、だんだん物忘れが増えていき・・・。
ところが母はある日突然、なんのまえぶれもなく「老人」になった。
まるで玉手箱を開けてしまった浦島太郎みたいに。
倒れる直前まで会議に出席していたのに、もくもくと煙につつまれて。
そしてなんにもできなくなって、
「あなたは老人です。」
一覧表に記された「いいえ」の行列は、目の前に突きつけられた現実そのものだった。
これが去年だったら64歳で、中途障害ってことで雰囲気はまた違ったのかなあ。
だけど、玉手箱を開けたあとでも、浦島太郎は浦島太郎だ。
何もかわりはないはずだ。
ただ、老人になって動けなくなったってだけで。
母はかわりなく母だ。
「車に気をつけて帰りよ」
っていってくれる母なんだ。
人は、なにをもってその人とするのだろうか。
なにをもって母は母で、私は私で、あなたはあなたでいられるのだろうか。
それは「いいえ」の数ではなく、できないことではなく。
肯定することではないだろうか。
なんにもできなくなった母はまだ、コーヒーを飲んで、歌を歌うことができる。
生まれつきなんにもできない妹は、それでも元気に笑うことができる。
人をその人たらしめるのは、そういうことじゃないだろうか。
そんなことを考えながら。
深夜バスに乗って旅にでました。
仕事が休みになったその日は、叔母が病院にいってくれる予定だったので。
前に宣言したとおりの弾丸旅行に出たのです。
旅ブログに更新していきます。
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