在宅介護しながらウィーンへ行くブログ~猫とビターチョコレート~
独身のアラフォーが家族を在宅介護、やりくりしながらウィーン旅行を目指します
「友達は選びなさい」
「友達は選びなさい」
よく聞く言葉だけれど。
付き合う人を「選ぶ」のは自然なこと。
無意識かもしれないけど、みんな選んでる。
誰とおしゃべりをしようか。
誰の隣りに座ろうか。
誰とゴハンを食べようか。
たくさんの取捨選択の結果、人間関係の濃淡が形づくられていく。
それをわざわざ
「友達は選びなさい」
と言うのには、どういう意味があるのだろう。
「自分にプラスになる人を友達にしなさい」
だろうか。
でも。
私は「友達を選びなさい」という言葉が大嫌いだ。
当然のことをあえて口にすることで、友達選びは無意識のものから意識的な「人選」になる。
心ではなく脳みそで選ぶものへと変化する。
計算、打算。
メリットやデメリット。
役に立つ人間か否かで友達を選ぶ。
現世利益とでもいうような。
(利害関係で結ばれた友情に限って、『私たち、友達だよね』発言がでてくるのはなぜだろう?)
そうして選ばれなかった人間関係は
「切る」
「切った」
と表現されてしまう。
まるで、いらないモノのように。
人間どうしを、選んで、切って。
・・・そんな表現をする人が、私は、とても怖い。
よく聞く言葉だけれど。
付き合う人を「選ぶ」のは自然なこと。
無意識かもしれないけど、みんな選んでる。
誰とおしゃべりをしようか。
誰の隣りに座ろうか。
誰とゴハンを食べようか。
たくさんの取捨選択の結果、人間関係の濃淡が形づくられていく。
それをわざわざ
「友達は選びなさい」
と言うのには、どういう意味があるのだろう。
「自分にプラスになる人を友達にしなさい」
だろうか。
でも。
私は「友達を選びなさい」という言葉が大嫌いだ。
当然のことをあえて口にすることで、友達選びは無意識のものから意識的な「人選」になる。
心ではなく脳みそで選ぶものへと変化する。
計算、打算。
メリットやデメリット。
役に立つ人間か否かで友達を選ぶ。
現世利益とでもいうような。
(利害関係で結ばれた友情に限って、『私たち、友達だよね』発言がでてくるのはなぜだろう?)
そうして選ばれなかった人間関係は
「切る」
「切った」
と表現されてしまう。
まるで、いらないモノのように。
人間どうしを、選んで、切って。
・・・そんな表現をする人が、私は、とても怖い。
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