在宅介護しながらウィーンへ行くブログ~猫とビターチョコレート~
独身のアラフォーが家族を在宅介護、やりくりしながらウィーン旅行を目指します
震災から20年
阪神淡路大震災から20年。
もう20年なのか。
まだ20年なのか。
「時がたてば…って言われたけど、この悲しみは少しも薄らぐことはない」
とは肉親を亡くしたひとの言葉。
日常のすべてが覆された瞬間。
長田の真っ黒な焼け跡。
テレビや新聞に流れる名簿に釘づけになっていたこと。
忘れるわけはない。
忘れるわけはないけれど、それでも確実に昔話になりつつある。
大震災から数年後、私はイスタンブールで地震に遭った。
幸い、安宿ながらも新しい建物だったのでさほど揺れはしなかった。
震度4か5弱くらい。
が、ほとんどの宿泊客が地震というものを知らなかったから、宿中がパニックに陥った。
地震だ地震だと走り回る人。
死ぬ死ぬとオイオイ泣き出す人。
そんな中、日本人とトルコ人が
「大丈夫ですから落ち着いて」
「まだ余震がくるから気をつけて、揺れたらテーブルの下に入って」
と宥めてまわったのだった。
知らないということは恐怖を増大させる。
そしてパニックはさらなる被害をうむのだろう。
「『じしん』ってなあに?」
と信じられない問を口にした外国生まれの姪っ子にも、ちゃんと教えておかなくてはならない。
もう20年なのか。
まだ20年なのか。
「時がたてば…って言われたけど、この悲しみは少しも薄らぐことはない」
とは肉親を亡くしたひとの言葉。
日常のすべてが覆された瞬間。
長田の真っ黒な焼け跡。
テレビや新聞に流れる名簿に釘づけになっていたこと。
忘れるわけはない。
忘れるわけはないけれど、それでも確実に昔話になりつつある。
大震災から数年後、私はイスタンブールで地震に遭った。
幸い、安宿ながらも新しい建物だったのでさほど揺れはしなかった。
震度4か5弱くらい。
が、ほとんどの宿泊客が地震というものを知らなかったから、宿中がパニックに陥った。
地震だ地震だと走り回る人。
死ぬ死ぬとオイオイ泣き出す人。
そんな中、日本人とトルコ人が
「大丈夫ですから落ち着いて」
「まだ余震がくるから気をつけて、揺れたらテーブルの下に入って」
と宥めてまわったのだった。
知らないということは恐怖を増大させる。
そしてパニックはさらなる被害をうむのだろう。
「『じしん』ってなあに?」
と信じられない問を口にした外国生まれの姪っ子にも、ちゃんと教えておかなくてはならない。
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