在宅介護しながらウィーンへ行くブログ~猫とビターチョコレート~
独身のアラフォーが家族を在宅介護、やりくりしながらウィーン旅行を目指します
真実を認めるということ
前にも書いたことがあるけれど。
「真実は一つ」
っていう言葉が好きじゃない。
「事実は真実ではない」
のほうが好き。
事実はたった一つでも、それを受け取る人の数だけそれぞれ違う真実がある。
心の数だけ真実がある。
そう思わないとやってられない。
母は麻痺した左手を、自分の手だと認識できず、末娘の優子だと思っている。
左手にむかって話しかけ、
車椅子をおりるときは左手をどうすべきかといちいち尋ね、
「はい、ごはんよ」
と左手にコロッケを食べさせようとする。
「優子はもう食べたよ。お母さんも食べようよ」
と促すと
「でも、この優子はぜんぜん食べないの!」
必死で訴える。
私は途方にくれてしまう。
否定しちゃいけないとは思うんだけど、いつまで経っても食べ終わらないし、だんだんこっちがおかしくなりそうで。
つい、
「それは優子じゃないよ、お母さんの左手だよ」
といってしまった。
母は混乱して泣き出した。
・・・ごめんね、おかあさん。
きっと真実は1つじゃない。
私の真実ではそれは左手だけど
母にとっての真実は優子なんだ。
どちらも間違いじゃないんだ。
他者を認めることは、こんなにも難しい。
「真実は一つ」
っていう言葉が好きじゃない。
「事実は真実ではない」
のほうが好き。
事実はたった一つでも、それを受け取る人の数だけそれぞれ違う真実がある。
心の数だけ真実がある。
そう思わないとやってられない。
母は麻痺した左手を、自分の手だと認識できず、末娘の優子だと思っている。
左手にむかって話しかけ、
車椅子をおりるときは左手をどうすべきかといちいち尋ね、
「はい、ごはんよ」
と左手にコロッケを食べさせようとする。
「優子はもう食べたよ。お母さんも食べようよ」
と促すと
「でも、この優子はぜんぜん食べないの!」
必死で訴える。
私は途方にくれてしまう。
否定しちゃいけないとは思うんだけど、いつまで経っても食べ終わらないし、だんだんこっちがおかしくなりそうで。
つい、
「それは優子じゃないよ、お母さんの左手だよ」
といってしまった。
母は混乱して泣き出した。
・・・ごめんね、おかあさん。
きっと真実は1つじゃない。
私の真実ではそれは左手だけど
母にとっての真実は優子なんだ。
どちらも間違いじゃないんだ。
他者を認めることは、こんなにも難しい。
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